硬直する美鶴の手首を、瑠駆真は緩やかに握り直す。
「霞流と、夜中に会ってたんだ」
「そんな、事は」
震えそうになる声で、なんとかそう答える。
「しかも、未成年は出入りできないような妖しい店で」
「言っとくけどねぇっ!」
思わず声を荒げる。
「霞流さんは、アンタ達が考えているような人間なんかじゃない」
「俺たちが、どう考えてるって?」
「どうってっ」
大きく息を吸う。
「どうせ、夜毎ほっつき歩いて女でも適当に引っ掛けてるくだらない男だとでも思ってるんでしょう?」
「そんな事、いつ言った?」
「言ってるようなモンよ。言葉でわかる」
「誤解だな。俺はそんな事は一言も言っていない」
「言ってる」
「言ってないな」
「言ってるよっ!」
言い合う二人の間に、瑠駆真が入り込む。
「今はそういう問題じゃない」
まずは二人の口を閉じさせる。そうして美鶴と向き直る。
「僕は、僕たちは、君の行動を聞いている」
美鶴はギュッと唇を結ぶ。
「繁華街で霞流と会っているのは、本当なんだな?」
美鶴は、答えない。
「夜中に君が繁華街をウロついているという噂も、本当だったんだな?」
「ただの、噂だ」
「美鶴、答えろ」
聡が語調を強める。
前にも聞いた。美鶴は、ただの噂だと答えた。
「美鶴、前にも俺は聞いたはずだ」
聡は両手に拳を作り、握り締めて俯く。
「俺は、お前を信じていた。お前は夜遊びなんてするような奴じゃないって、思ってた」
「私は別に、夜遊びなんてしていない」
「じゃあ、霞流と夜中に何やってたんだよっ!」
我慢できず、聡は右腕を伸ばす。美鶴の肩を握り、無理矢理振り向かせる。髪の毛が揺れる。
「霞流と何をやってた? 何を、やってる?」
目の前で、黒く艶やかな瞳が自分を見上げている。真っ直ぐで、綺麗で、ずっと小さい頃から見てきた瞳だ。男みたいに気が強くって、だからその瞳に睨まれると、こちらも思わず反発してしまう。そんな強さをも潜ませてもいる瞳だ。
綺麗だと思う。美鶴の瞳は綺麗だ。
目も、肌も、唇も、どれもみんな綺麗だと思う。その肌に、頬に、もしかしたら霞流という気障な男が触れたのではないかと想像すると、それだけで聡は頭に血が昇りそうになった。
「答えろよ」
必死に抑える。
「答えろ」
擦れる声で、低く命じる。
そうだ、これは命令だ。美鶴には拒むことなど許されない。答えなければ、先は無い。答えるまで、逃がさない。
風が吹き抜ける。頬を切る。少しは寒さの緩んだ、だがまだ冷たい風。
「答えるんだ」
「美鶴、なぜ霞流と会うのに、繁華街なんだ?」
背後からは、できるだけ感情を抑えようと必死に潜められる声。美鶴は視線を落して息を吸った。その耳に、着信音がシラけたように響いた。
チラリと視線を投げる。ユンミだ。メールではない。
同時に瑠駆真も画面を確認する。
「ユンミ?」
怪訝そうに首を傾げ、視線を美鶴へ投げる。
誰?
視線だけで問いかける。
着信は鳴り続ける。出なければいけない。
美鶴は意を決して腕を引いた。だが思った通り、瑠駆真に引っ張り返された。
「誰?」
「お前には関係ない」
「関係ないかどうかは、俺たちが決める」
聡の低い声。
「電話よりもこっちが先だ」
「私、急いでて」
着信音が切れる。留守電に切り替わる。ユンミはメッセージを入れる事無く電話を切った。
ユンミさん、私からの連絡を待ってるんだ。早くツバサと合流して埠頭に行かないと。
だが、瑠駆真と聡が、このままおとなしく解放などしてくれるはずはない。
何を迷ってるのよ。適当にごまかせばいいじゃない。
無理だよ、この二人をどうやって。とにかく一刻も早くツバサに連絡しないと。ごまかしてる暇なんて無いよ。
馬鹿ね、ツバサのお兄さんなんて気にする事ないのよ。ツバサになんて構ってる必要はないわ。
そうよ、だいたい、なんでアンタがツバサや蔦康煕の事を気にしなくちゃならないの? しかも蔦は、アンタと霞流の事を、この二人にバラしたのよ。ツバサの兄が何をしようと、ツバサがどうなろうと、蔦康煕との仲がどうなろうと、アンタには関係無いじゃない。
それはそうなんだけど。
美鶴は唇を噛む。
でも、涼木魁流が会ってるのは、霞流さんなんだよ。しかも、彼は霞流さんが変わってしまった事件の真相を知っている人だし、当事者みたいな人だし。
だから何?
何って、だから、その人に会えば、何か霞流さんを変えるヒントが見つかるかもしれないし。
確証は?
え?
確証はあるの?
無いけど。
だいたい、涼木魁流がアンタとまともに会ってくれると思う?
え?
深夜の繁華街、声を掛けた美鶴を突き放した涼木魁流。ホテルへ会いに行ったツバサをも突き放したというではないか。
彼、アンタやツバサが姿を見せたら、逃げちゃうかもよ。
でも、自分から霞流さんに会いに行った。だから、霞流さんと話しているところに行けば、うまくこちらの話もできるかもしれない。
そんなにうまくいくかしら?
自分が自分を嗤う。
そんなに事がうまく運ぶと思う?
自信は、無い。全然無い。でも――
握られていない片方の手を胸に当てる。
でも私、霞流さんが好きだ。優しかった頃の霞流さんに、智論さんから聞いた昔の霞流さんに、会ってみたい。そのためなら、何でもしたい。たとえどんなに小さな可能性であったとしても、無駄にはしたくない。
何でもしたいの。
「美鶴」
視線を落して黙りこくってしまった美鶴。聡は睨みつけたまま。
この二人はどうするの? 事情を説明するの? 霞流さんの正体を知ったら、この二人、どう思うかしら?
霞流さんを、どう思うか?
「あの男はやめろ」
聡の言葉に、ガクンと身体が揺れた。
「夜の夜中に未成年を連れ出すような男なんて、今すぐやめるんだ」
「霞流さんは違う」
目を見開いて地面に言葉を叩きつける。
「霞流さんは違う」
「何が違うんだっ!」
「霞流さんは、お前たちとは違うっ」
瞬間、冷たい氷のような空気が三人を包む。
瑠駆真の手に力が篭る。少し震えて美鶴の手首を握り締める。肩を掴む聡の手も同じ。
お前たちとは違う。
言ってしまって、少し後悔もした。悪い事を言ったという思いもある。だが、それでも美鶴は、その言葉を撤回しようとは思わない。
夜の繁華街、霞流の名を口にするのを躊躇ってしまった自分。
自分は、悪い事なんてしていない。たしかに未成年立ち入り禁止の店には入ったけど、お酒も飲んでないし、煙草も吸ってない。繁華街という言葉を聞いただけで多くの人が連想するような、不貞な事もフシダラな事もしていない。
霞流さんは、聡や瑠駆真とは違う。無理矢理にキスしたりなんてしない。無理矢理には。
そうだよ。
ギュッと拳を握り締める。
霞流さんは、悪い人じゃない。隠す必要なんて――― 無い。
携帯が鳴った。今度は短い。メールだ。ユンミからだ。
美鶴は顔をあげた。
「時間が無いの」
「こっちもな」
顔を寄せてくる聡を、毅然と見返してやった。
「話している時間なんて無い。だから」
美鶴の肩を握る手の首を、逆に握り締める。
「だから、気になるなら勝手に付いてくればいい」
言うなり、思いっきり聡の手首を握りしめ、瑠駆真の手を振り払った。
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